絶対等級

詩は日記で日記は詩

朝が来る、影が落ちる

-人は皆、運命の悲しい奴隷だというのに

その奴隷が奴隷を買うなど、笑えぬ喜劇だ-

 

Sound Horizon/『奴隷たちの英雄』より

 

 

 

 

 

世界の優しい部分と残酷な部分が

同時に視界に入ってきて

コントラストが強くなるとき

 

朝が来る、影が落ちる

 

になってしまうから

胸がきしむ。

 

誰もが経験則でしか語れない。

 

心の美しさの価値判断も

結局は好みの問題でしかないとしたら

 

審美眼も正義感も意味をなさない

 

そんな正義フォビアっぽいものに

陥りたくはないと思いつつも

やっぱり「人それぞれ」で大事にすべきことはまだまだある。

人それぞれでいい問題とよくない問題がある

そんなことさえ人それぞれだから

また収集がつかなくなる

 

無限ループはきらいだ

別に思考を深堀りできてるわけでもない

きっとこれも闘い続けて考え続けてきた人たちが

培い重ねて語り尽くした範疇でしかない

 

それでもかゆいとこに手が届かない感覚を覚えるのはどうしてか

資本主義という名の怪物に使い倒されてなぶり殺しにされるのは仕方ない

いつもだいたいなんでもそれが前提でしか語られない

いつもそこに戻って行ってしまう

そこに異を唱えるならば生きて闘い続けろと言う人も私にとっては同じこと

それがたとえ苦痛をなくすための苦痛であろうとも

苦痛の賛美や正当化に少しでも繋がるものは一切なぎたおしてしまいたい

 

今の世界のありさまを、搾取の賜物だと

そう認知することが弱き者の証になってしまうなら

生き残れない個体だと一蹴されるなら

 

せめておだやかにオメラスを立ち去る手段だけでも

こういう全ての人に与えてはくれませんか

 

誰でも、「あなた」のように強くはない。

 

 

 

 

 

 

 

そして私は知っている。

そんなものは決して「強さ」などではないことを。