絶対等級

詩は日記で日記は詩

怒りの花

動物の側になってみたらいいよ。
なんて言ってもきっと無意味だね。
動物の側になることなんて絶対ないもんね。
あなたのきらいな政治家も先生も先輩も上司もいじめっ子もマジョリティも
あなたの側になることなんてないって
きっと同じこと思ってる。

 

 

ゴミのポイ捨てみたいなリプがつくインターネット。

物質じゃなければゴミにならないとでも思ってるのか。

 

みんなに優しい人は1番弱い人に優しくなれない

みたいな

あたりまえだけど全てができた人なんていなくて

自分もそういう1人だから

ジョブチェンジシステムなんかじゃなくて

ナイフとかいつまで経っても握り慣れない

白魔道士タイプなのに義賊に恋してるから

アサシンタイプと圧倒的に相性いい心根してしまってる

 

だから怒りでどうにかなりそうなとき

相性のいい部分が凶器になりそうなので、

この世にロックとかパンクとかサブカルとか

いいようにカテゴライズされる音楽があってよかったな、と思いつつ

たとえばいじめだったら同じこと叫んでも

過激派なんて言われないだろうなんてよぎると

無限ループするので

どうせ怒りと祈りでもって

創作の花を咲かせる他ないのだ。

 

なんでもネタにできてしまう自分が

いちばん残酷なのかもしれない。

 

別に自己嫌悪とか自己否定とかじゃない。

淡々とした事実確認。

絶望とも希望ともとれない現実感。

 

 

だって一部の現実だけ取り上げて

「現実を見ろ」なんて抑圧者側に都合のいい

常套句は聞き飽きたから

 

理想主義者でも頭お花畑でも

なんでもいいので

オメラスを堂々と出られる人と

一緒に歩いていたいのです。

 

「どうしようもない」で腐敗した世で

望まない暮らしを生きるより

「どうしようもなくない」と叫び続けて死にたい。

 

ファンタジーと見下されるこの頭の花畑が

どんなリアルを見てきた過程で築かれてきたものか

知ってる君がいればいい。