絶対等級

詩は日記で日記は詩

ユートピアの台本

 

 

 

人とどう関わっていったらいいかわからない。

 

会話用の台本がほしい。

 

ユートピアに最短で辿り着ける台本がほしい。

 

 

告白すると、私は絵を描くよりも

歌ったり朗読することの方が好きで

 

うまいヘタは、置いておいて

長時間続けていられるのは

圧倒的に声を使った作品で

 

2時間で疲れてしまう作画も

歌なら8時間一人でぶっ通しで

歌っていられた。

 

 

言葉から垣間見える人となりを

音にしてみたい。

 

自分の声なんて嫌いだった。

 

でも気づいたら叫ぶようになっていた。

それは同じように叫んでいた

あの子や君のおかげで見つけた

表現方法だったりするんだよ。

 

あぁそうか叫んでいいんだって思った。

作品のために作った漫画のキャラクターとしてではなくて

私は私として言葉にして声に出していいんだと思えた。

 

人とどう話したらいいかわからないから

朗読という形で思いを語るしか

世界との繋がり方がわからない。

 

休み時間、クラスメイトに

何を話しかけたらいいかわからないから

ずっと絵を描いていたあの頃から

変わっていないんです。

 

どんなふうに伝えることがいいのか

そもそも伝える必要なんかあるのか

未だに迷うときもある。

 

迷いながらもやらずにはいられない

それが答えなのかもしれないけれど。

 

 

存在の証明や

自分が大切にされるために

大切な存在が大切にされるために

訴える仕方はたくさんある。

 

その形態を一つに絞れないことは

きっと悪いことじゃないと思う。

 

たとえば、声を出すことすら苦しいときは

またペンを握ったりするんだと思う。

それも苦しくなったら

ただじっとしたりもするんだと思う。

 

 

差別や公平や戦争や平和や

ときどき追いついてくる

自分の加害や被害の過去について

ずっとぐるぐるぐる考えて考えて

考えすぎないでって言い聞かせても

 

そういうときって

でも、きっと考えていたいんだよ。

切り替えたくなんてないときもあるんだよ。

 

ぐるぐるぐる考えて考えて

いっそ疲れて何もできなくなりたいとき、

 

 

アドリブとか利かないから

人生の台本がほしい。

 

 

けれど、どんなに願ってもそんなものなくて

いざ「これが台本です」って渡されたとして

くそくらえとか思ってたぶん投げ捨てるんだろう性格のめんどうくさい私は

 

だから自分で創っていくしか。

 

 

書いたり描いたり歌ったり詠ったりする

穏やかな日々を求めて叶え続けることを

謳い続けていたい。

 

時になんにもしなくなりながら。

時になんでもしたくなりながら。

 

そういう人が無理に人と繋がらなくても

無理にひとりにならなくても

気がねなく安心して暮らせるような

そんな世界を創っていたいんだ。