絶対等級

詩は日記で日記は詩

空に手を伸ばす空想を

 

 

空に手を伸ばす空想を

何度繰り返しただろう。

 

短すぎる腕が届くのは

小さな四角いキャンバスか

液晶くらいだったりして。

 

現状を破るための現状を、いつまで続けたら天井は割れるのか。

必要なのはテコの原理か。それって精神面で言うどれ。

何にでも感情移入するから何も受け入れられない。

 

 

…あれは、青灰色がかった記憶。

 

産まれたくなかった気持ちを

親に理解してもらえた夢を見た朝。

漫画みたいに手を伸ばして

目覚めたあの日の切なさが、まだ。

 

空に伸ばした手は、文字通り空を切って。

 


でも、もう明るい詩がうたいたいのです。
わたしは。

 

 

それなのに。

 

 

 

 

言いたいことも言えなくなるなら

ひとりになったほうがマシだと考えてしまう

自分は今もここに居る。

 

 

こんな私ですよ。付き合いきれないと感じるなら

どうぞ無理せず離れてくださいね。

そんな意図をもってでしか

人と対話する勇気をしぼれないのです。

 

 

変化は悲しいことじゃない、素敵なことでもある。

だけど、変化だって、一番大事な大事な

根っこの部分を貫ける自分あってこそ。

 

 

たとえば、昨夜も

お茶の間に下りたら、搾取がコミカルに垂れ流されている世で

「テレビを捨てよ。」と思いました。

 

そんな感覚を、「一緒だね」って笑える人と出逢いたくて。

なにより本音の行き場がここしかなくて。

この世界に生きるには、そんなことに縋るしかないから。

 

水面下で燃える炎は消せず、消さず、

のどかな田舎の風景に美しさをギリギリ見出してく。

一本の蜘蛛の糸のように頼りない日々。

 

そんな姿もナルシストって嘲笑うことが

大人の姿勢とされる風潮の中で

この青い姿勢を崩せない。

 

青くていいです。

 

 

 

言いたいことも言えなくなるなら

「どうしても受け入れられないこと」を

―たとえば私にとっては、他者を傷つけること、犠牲にすることで

成り立つ社会がそれなわけなのですけれど―

受け入れなければ保てない関係性なら

耐えられません。無理です。と

ひとまず伝えるしかないのです。

 

それでもいいですか、と

自分の中では既に答えが出ていることを

聞いてみる。

 

 

 

空に手を伸ばす空想を

何度繰り返しただろう。

 

小さすぎる手が握れるのは

一本のボールペンと、隣に限りなく近いあなたの

同じように小さな左手くらいで。

 

それでもいいよと握り返してくれた

あなたのこと忘れない。

 

 

あなたと私の空いた方を

伸ばした手が

空を切るこの世界で

今は、まだ。