絶対等級

詩は日記で日記は詩

電気信号とリアルとアート

 

 

「あの子たちを傷つけないで」と叫べば

嘲笑されたり溜息つかれたりする。

 

平和のはりぼてを塗りたくったような日常で

でんぱ組.inkが歌う

「マイナスからのスタートなめんな」

の一文が胸を刺して押し上げる。

 

洋楽の日にはマイケル・ジャクソン

『Black or White』が脳内再生される夕方。

痛みをないことにされてきた存在たちの

フラッシュバックが静かに起こる。

 

スタジオを出ていく黒豹が

差別の象徴を壊して回る

シークレットがダイレクトすぎて

コミカルとポップに練り込まれた大真面目が

そんなことがわかる人と言葉を交わしていたい。

 

 

こういう訴え方しかできない。

ポエムとかロックとか、

良くも悪くもオブラートとか、

そんな様でしか居られなくて

でもときどき我慢できなくて

 

そんな良くも悪くもオブラートで

ポエムとかロックとか簡単に

簡単に簡単にカテゴリで括られるその中に

真意を見出してくれるあなたがアナタが、

貴方が尊すぎるのは、仕方ないじゃないか。

 

 

現実は変わっていない。

今日も空は青くて灰色で

笑顔と搾取と暴力があって

それに反してうねるように変わってく

私の憂うつは安心は

あの絵は音楽はこの心は

この脳みそが創り出してる妄想だ。

ぜんぶ電気信号の影響だ。

 

でもその電気信号がリアルになって

届く場所があるなら

まだここに居る意味あるのかな。

 

あの絵や音楽やその心が

君の言葉が、声が

電気信号に乗って

ここまで届いたのと同じように。

 

掲げる平和の意図とか理想とか

迎合したくないディストピアとか

思い描くユートピアとか

「アート」で終わってしまいがちなこれらを

アートで終わらせないでいてくれる存在。

 

そんな電波が繋がり合って

きれいな電光石火でも起こせたら

暴力のコードもショートさせられるだろうか。

 

そのときまでは

ときどき懐かしい音楽に

想い重ねて委ねては

またこうして落とし所のない状態を

電波に乗せてしまったり

するのだと思います。