絶対等級

詩は日記で日記は詩

さよなら反差別

 

反差別、さようなら

 

やってることぜんぶ

 

当事者の選別

 

選民思想と変わらない

 

 

こういう人は助けたいけど

こういう人は消え去ってほしい、とか

人間みんなあるよね

私にもあるよ

 

己の内実、あるところではかなり選民的だと、はっきり言ってくれた人のがマシ。

法が縛ってなければ殺したい人たくさんいる。ってったあなたすき。

自覚がある人のほうがいい。

個人的な人生経験、反差別の名の元に、美化してない人なんていない、見たことない。

別にそれでいいと思う。思うのに彼らそれさえ否定してくるから、もういなくなってもいいじゃんの念を育ててくれる。

他人には優しくなれるのに自分には優しくなれないの二重規範をお披露目し合う。

その逆もよく見かけるニ枚舌はよくしゃべる。人間。人間。人間。

 

差別はいやだ、くそくらえ。

そんなにハンバーグの写真載せ合いたいなら豆腐ハンバーグでも食べとけやと思う。

両成敗のつもりでがんばってる人の足ひっぱる。そんな中立ムーブも見飽きたし反吐が出る。

 

何も支持できないし

反応のない液晶が虚しい

だから打つ

 

誰もがこの“狂った”構造の被害者なのに、誰が一番の被害者かを未だに競い合ってる。その上言葉狩りばっか洗練されて、中身のない。危なっかしい言葉は強調でもすればいいのか。

あさっての方向見てる優しさは優しさではない。マイノリティは天使ではない。赤ん坊でもない。ただ望む生き方を叶えられるべき人権を持ってるというだけだ。

歴史も大事だけど現在を見てよ。

“本当に困ってる人”の基準をなんで他人に決められなきゃいけないんだろう。

“冷たくなった”ならそういう表現でもいい。

優しくないに優しい人へ助けを求めたかった。

 

 

私嘘つきです。

 

 

何も真実ではない。

なら早くこの虚構を終わらせたい。

くだらねぇと水底が揺れる。

 

すべてを支持できないなら、自分の感覚に手をついて闇の中を歩くしかないのに、批判がデフォルトになったから、あれもダメこれもダメで、その人にとっての生命線を切り合ってるんだろう。

 

最後に希望なんて置かない。

起承転結などない。

物語は終わってからが人生なのに、途中までさんざん消費してあとは退席する。すべてが感動ポルノ。

 

つまんないから、もうやめた。